人工知能と”とげ作り”
またまたAI論だけど、最近こんな記事を読んだ。
・落合陽一「2026年にはほとんどの知的作業がAIに置き換わる」人間に残される仕事は“とげ作り” – エンジニアtype
https://type.jp/et/feature/26858/
「考える仕事」の量が圧倒的に減り、AIが作業をするために必要な条件を整える「環境構築」が主な人間の仕事になるはずです。
もう一つ、人間に残されるのは「とげ作り」ですね。文章でも何でも、人が「面白い」と思うものには少しとがった部分、つまり論理的な飛躍の要素が含まれています。
「お!?」と思えるような”とがり”がないとね、という話。
ところが、AIはそれを考えるのが苦手です。基本的に学習データで出来ているので、「もっと面白くして」「もっと興味深くして」といった指示に答えるのはあまりうまくありません。したがって人間らしい「とげ」を生み出すことは、まだしばらくは人間の仕事であり続けると思います。
一方、AIに置き換えられにくいのは「人対機械」「人対人」の仕事です。「人対機械」の仕事は、先ほど言った体力仕事に当てはまります。自動車工や整備士など、実際に機械に接する仕事は、生成AIのサポートを受ける部分はあるかもしれませんが、仕事自体がAIだけで終わるようになることは少ないでしょう。
その一方で、機械に代替されにくい人材も居ます。それは「もっとこうしたい」という意志を持つ人間で、私はそういう人たちのことを「クリエイティブ・クラス」と呼んでいます。例えば、映画監督や建築家、会社のCEO、アーティストなどです。
一言で言うと「創造的専門性を持った知的労働者」です。彼らはAIには無くて人間にだけある「モチベーション」を持っています。今のところ「人間社会をどうしたいか」「何を実現したいか」といったモチベーションは、常に人間の側にあるので、それをしっかり持って実装する方法さえあれば、システムに「使われる側」ではなく「使う側」で居られるのです。
僕も含めて「もっとこうしたい」だけを仕事にしている人は、AIに仕事を奪われることは無いと思います。
「哲学」「こだわり」「諦めない」の三つだと思います。「哲学」とは、一人一人の価値観の基盤となるような、その人固有の世界の見方です。哲学があればおのずとやるべきことの方向性が定まるので、好奇心やモチベーションを持ちやすくなります。
意外とふつーのことだけど、これこそが人間らしくあるために必要なのかもね。
そして「自分がなぜ今の時代にこれをやる価値があるのか」をちゃんと考えているのです。自分以外の「誰か」を目指すのではなく、自分自身の価値を信じ、自分で自分を肯定して、己の価値基準を持つことを大切にしています。
人間的なモチベーション、それを保って人間臭く生きていきたいな、と思う良い記事だった。
そういえば、スピッツの学生時代に聴いていた『とげまる』、最近聞いてないなとふと思ったり。
今日はそんな感じで。
かわなみ