A時代における”質問ベース”な教育の未来

人工知能時代に教えるということ

最近、AIに関するコラムをいくつか読んでます。
その中でも特に印象に残ったのがこの記事。

人間を超えるAI時代「問いベースの教育に」 安宅和人慶應大教授

人間を超えるAI時代「問いベースの教育に」 安宅和人慶應大教授

いくつか引用すると、

委員からはそうした時代において生身の教師の存在意義を問う声が上がり、安宅教授は「リアルな体験やリアルな空間なしに、人間が育ったり、変容したりすることはない。だからこそ、生身の教師の存在は極めて重大だ」と指摘した。

知識やスキルだけならAIで学ぶことはできるだろうけど、
そうじゃない人間関係や感情のやり取りみたいなものは
まだまだAIにはできない役目。
より密接に生徒と触れ合う時間が大切になっていくんだろうなと思ったり。

 

「AIの発達によって、インターパーソナルスキル、つまり他者とうまく関わる能力が本当に重要になってくる。1人で机に向かってやっているようなことでは駄目だ。また、自分で意味のある問いを立てられない人、つまり指示待ち人材の時代は終焉(しゅうえん)する」と話した。

AIに質問するにしろ、問いをたてる力がないとやっていけないし、
知識を受け取って覚えるだけじゃどうにもならない世界になっていくという話。

後必要となってくる能力については、▽社会に課題を感じて、切り拓く力▽人と人との関わり合いから現状を知り、価値提供の方向性を見いだし、人を動かす力▽つくりたい未来のために、必要なさまざまな人を巻き込み、問いを投げ掛け、知恵を生み出す力▽さまざまな知恵を一つにつなぎ形にしていく力▽変化の激しい時代において、何度でも人生をリノベイトできる力▽言語化し、人に伝えられる力――などを挙げた。

なんだかいろんなものを要求していて、なかなか手厳しい箇所。
(世知辛い時代になったな・・・。)

果たしてこの能力をすべて持っている人ってどれぐらいいるんだろう?と
思いつつも、そうでもしなきゃAIに代替されてしまうんでしょうか。

 

しかし、そうじゃない。AIは人間のためにある。どうやって使い倒すかをみんなで学びながら、子供たちからも学ぶというのが正しい形だと思う。どんどん仕掛けていけたらいい」と締めくくった。

最後に「AIは人間のためにある」と締めくくるのがちょっと救われるというかなんというか。

まえにも書いたけれど
「AIによる代替=不幸」ではない、というのを心に留めて過ごしていきたいなと。

凝り固まってない子供だからこそ、大人よりもうまく人工知能に順応して、
うまく生き延びていくのかも。

 

僕自身は 教師や先生という立場ではなく、
子供がいるわけではないので
“教育”という場からは遠い存在だけれども、
これからの時代を生きる僕らにとっても示唆のある文章でした。

先生という職業もこれから大きな変化を要求されて大変だろうけど、
僕の知り合いにも現役で教師をしている方が多く、
応援する意味も込めてブログに書いてみました。

今日はそんな感じで。
かわなみ

今日のよかったこと:
ドトールコーヒー農園の「いちごパフェ」が500円なのに案外おいしかった。

ChatGPTは学校で禁止せず、使いこなせるよう教えるべきか?

AI時代にブログを書く意味はあるのか?

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