自然に関するこんな記事を読んだ。
・なんてゆたか! まちの雑草のせかい 自分なりの植物観察のススメ | 鈴木 純 | ほぼ日刊イトイ新聞https://www.1101.com/n/s/jun_suzuki/index.html
そこで、ちょっと発想を変えることにしました。身近な場所をフィールドにして身のまわりにある植物をたのしめるようにしたら、もっとたくさんの人に植物の面白さを伝えられるんじゃないか―――。
たとえば、このハマツメクサを足で踏もうとしても、この花はすき間にもぐりこんで、実際には踏めないことが想像できると思います。
植物はすきまに生えているので「踏まれてもたくましく生きている」というよりは「そもそも踏めないところに生きている」ことが多いんじゃないか、と。
同じ植物でも、場所によって形が変わるんです。
そういうわけで、「雑草」というイメージで
呼ばれている植物って、
まちで生きていける性質が備わっているんです。その点を踏まえて植物を探すと、
どこを探せばいいか、おのずとわかってきます。
同じ植物を見ても見る人によって気になるポイントが違う。なんかそれって「いいなあ」って思うんですよね。こういうところに植物観察の本来の自由さがあるような気がするんです。
植物は単体で生きているわけではなく環境の中で生きています。まちなかであろうとも、他の生き物がかかわっていることが多いんです。
タケニグサとアリの関係も興味深かった。
「植物観察家」という肩書きもいやらしさがなくてかっこいい。
僕も「自分のテーマ」「自分なりの楽しみ方」をを見つけて観察していこうかなと。
でも、もしその情報や知識を自分が持っていなければ、自分で確かめようとすることができる。確かめて、初めて知ることになればそれはもう紛れもなく自分にとっての新発見であり、新知見なんです。
いい言葉。
今日はそんな感じで。
かわなみ