WORKSIGHTの「フィールドノート特集」を読んだ感想

ワークサイト by コクヨ

最近発売されたあの文房具のコクヨによる雑誌「WORKSIGHT」。
以前紙の媒体で『植物倫理』号を買ったらなかなか良かったので、
最近出た新刊の『フィールドノート』に関する特集回をKindle版で購入。

「WORKSIGHT 19号 フィールドノート 声をきく・書きとめる Field Note」 https://www.kokuyo.co.jp/newsroom/news/product/20230427cs2.html

worksightフィールドノート

スケートボードとカルチャー、異国へフィールドワークをしたり、青森のおばちゃんの様子を記録したり。
どれも興味深かった。

気になった部分をいくつか引用。

わたし個人の経験に照らし合わせていえば、最 終的にスケートボーディングの魅力は、滑走を通 して街が自分のからだに返ってくるという点、自 分を変えてくれる点にあります。 スケートボード はわたしの実存や世界との関わり方を大きく変 えました。

 

いずれ「問い」がやってくるまで、そこの生活のコンテクストに身を浸しておくわけです。

 

ただし、ノートをとる作業は、 情報を記述して 書き残す機能だけではない気もします。 思考をす るということは、 実は人間の身体のなかで完結す るものではなく、自分が見たり聞いたりしたものを いったん外部に出してみて、それが文字や絵へと 投影されていくのを自分が見ることで、 思考が循環していくようなところがあるのだと思います。

実際に書かれたノートなども掲載されているのが興味深かった。

 

「人の話を「きく」ためのプレイブック」もすごくわかりやすいガイドかなと。

  1. そもそもこの場は「きく・きかれる」ができる場だろうか?
  2. わからなさの共有
  3. 「人それぞれ」にしない
  4. 問いをひらく
  5. もろさを大切にする

特に3つめの「人それぞれ」にしないというのは印象できて、
それをゴールではなくスタートにしてみましょう、というのはなるほどなと。

 

個人的に期待していた「野外録音と狐の精霊」という
デイヴィッド・ドゥープが語るフィールドレコードディグについてのコラム。

個々の音源のなかに封じ込められた音は、決して「素材」 ではありません。それは、 それぞれの固有の文化に埋め込まれたもので、その音の成り立ちに関与してい る人びとにとって極めて重要な意味をもちます。 けれども、それは録音された途 端に「素材」となってしまいます。 そこが、フィールドレコーディングというもの の奇妙で困難な部分です。

 

フィールドノートな傑作ブックリストも気になるものばかりだったので、
少しずつ読んでいきたい。

 

また、ChatGPT4についてもこの文章が印象にのこった。

ノートというものは多くの場合、閃光のような思 考を書き留めるものであるが、せいぜい忘れずに その瞬間を紙に封じ込めることで精いっぱいで あり、後でどのように利用できるのか判断するこ とが難しい。ましてやページ数という物理的制約 もあるなかで、過去から現在まで一貫して瞬時 に引き出せるようなものでもない。 たとえデジタ ル上のメモであっても、コピーアンドペーストな どで記述が容易な分、今度はデータが膨大になりすぎてしまう。 その点、 LLM を使うことで、膨大なデータを整理することなく自分の状況に応 じて過去の情報を瞬時にかつ適切に引き出すこ とができるというわけだ。

いままで書いてきた日記や記録が、AIのちからでいつでもどこでも、
適切なかたちで引き出せるようになるとすると、ちょっと希望があるのかも。

「現場を踏むこと」「五感で受け止めること」の大切さを
改めた実感した一冊だった。

普段からニュースレターを読んだりしていて、
個人的に興味のツボを押してくれる雑誌なので、
気になる号があればぜひ読んでみてください。

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