文体と親切さ
最近、文章についてこんな記事を読んだ。
・わかりやすいアウトプットをするときの心持ちhttps://nightthoughtreport.net/posts/2024/04/yasashii-output
わかりやすさ、とはなにか。
わかりやすい、わかりにくい。これらを分けている要因はいくつもあると思う。
ただ、自分にとって、自分が書いている文章にとっての「わかりやすさ」のひとつの側面が「受け入れること」にあると思う。受容、と言ってもいいかもしれない。
わかりやすさというのは相互受容ではないか、と自分は考えている。
逆に文章自体も読み手を受け入れる。わかりやすいように、読み手をなるべく排斥しないように書かれるのが良いと思っている。 もちろん文章にはターゲッティングもある。自分向きでない文章も存在する。それでも、言葉の選び方などに気をつけることで、読み手の印象はだいぶ違ってくる。「自分はターゲットじゃないんだな」と思うか、それとも「自分が排斥されている」と感じるか。これらは大きく違う。
こういうのを読むと、自分は独りよがりな文章を書いているよなあと改めて思ってしまう。
ここに書いてあるように、
「やさしさ」「ていねいさ」みたいなものがもっとあればもちろん読みやすくなるだろうなと。
ただ、あまり書く時間がなく、
あくまで日報的に気になることを毎日書いているブログなのでどうしても雑になりがちというか、
仕方のない部分はあるよねと。
ただ、せっかく知り合いも読んでくれてるんだし。
ある程度の読みやすさとやさしさ、
そしてユーモアは忘れないようにしたいと思う。
まともなブログ記事っぽいのはこのLIFELOGに書いて、
雑なつぶやきみたいなのは別の場所(SNS以外)に書くのもいいかと最近思っている。
ひさびさのポエミーな文章論でした。
今日はそんな感じで。
かわなみ