根性論否定の矛盾
最近、こんな記事をよんだ。
・「根性論」は悪だけど「継続力」は単なるスキルだから、さっさと身に着けたほうがいい。
もう時代は令和ということで、
体育会系的なトキシックな根性論は悪、
というのも認識されてきたけれど、という話。
“根性論は悪だが、同時に「継続は力なり」が正しいという矛盾”
確かに、物事を成し遂げるにはある程度の根気と継続が必要で、
根性論を根本から否定するのはなんか違う、というモヤモヤについて書かれています。
でもその一方で、「なんでもかんでも『イヤだから』と投げ出すのはいかがなものか」とも思っていた。 なにかを成し遂げるためには、継続が必要不可欠だ。
矛盾しているように聞こえるこの2つの考えは、「根性という忍耐力で無理する必要はないが、根気をもって継続することは大切」という意味だったのだ。
スキルは習得できるものだから、「継続力がないから投げ出します」は、ただの甘えなのだ。
「それならばスキルを身に着けてちゃんと最後までやりとおせ」という話である。 とはいえ、言葉を使うほうも使われるほうも、根性と根気を混同しがちだ。
この ”言葉を使うほうも使われるほうも、根性と根気を混同しがちだ。” というのが
ズレの日本では特に問題になっている気がする。
根性論は「たまーには必要かな」とは思うけれど、
人に強要するもんでもないし、というのが個人的な意見。
それぞれが自分なりに熱心に打ち込める方法を覚えるのが一番。
だから、根性はなくてもいいが、根気は失っちゃダメなのだ。
まあそうですよね。
今日はそんな感じで。
かわなみ