日記という趣味の良さ

最近、日記についてのこんなエッセイを読んだ。

・日記を趣味にする。|古賀史健
https://note.com/fumiken/n/nf8aac582dfd3?sub_rt=share_pw

それよりもむしろ、天気、気温、その日の服装、昼ごはんのメニュー、あたりを記録しただけの日記のほうが読み返して「へぇー」というおどろきがあり、よろこびがあったりする。そこに季節があり、そのときならではの行動があるからだ。それに対して気持ちや思索の記録は、案外変わりばえがしないものなのである。

では、どうすれば日記を「趣味」にできるのか。日記の醍醐味を実感することができるのか。

もしかするとそれは、「失うこと」なのかもしれない。なにかを失う。大切な人を、大切な場所を、大切な関係を、かけがえのなかった時間を、失う。いまや日記のなかにしか存在しない「あのころ」を知る。

失うというと、なにやら悲しい別離ばかりが浮かぶものだけれど、成長だってひとつの喪失だ。未熟が、若さが、無知が、それゆえの無鉄砲が、すこしずつ自分の周囲から失われていくこと。それが成長の姿だ。

なにかを失い、失ったぶんだけ別のなにかが伸びている。そういう記録を残すことができれば、日記はじゅうぶんな趣味になりえると、ぼくは思っている。

僕自身、高校ぐらいのときからほぼ毎日日記を書き続けてきているので、
もはや趣味というか”歯を磨く”習慣ぐらいのものになっていて、
日記を書かないと落ち着かないというか。

日常を振り返っているだけで、特に大した内容を書いていいるわけでもないけれど、
なんだか神の視点で自分の一日を俯瞰しているみたいで、謎の満足感がある。

毎日ブログとか書いちゃうタイプなの人間なので、
たぶんおじいさんになってもつぶやいているんだろうなと。

特にオチはないけれど、そろそろこの辺で。
かわなみ

今日の良かったこと:
最近お腹の調子が悪かったのが、マシになってきた。

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