タイパを重視すると失われるもの

タイムパフォーマンスの盲点

2022年の流行語大賞にもなった”タイパ”。
最近こんな記事を読んだ。

・「タイパ重視」を習慣にするZ世代の超意外な盲点
https://toyokeizai.net/articles/-/733207

印象に残った部分ざっと引用。

問題は、期待値が高いからといって5分や10分の時間消費を繰り返しても、人生を変えるほどの感動の絶対値には辿り着けないことである。更に進んで、割り算の分母を人生単位で考えてみよう。5分のショート動画を延々見続ける人生と、本数が百分の一でも映画を見ている人生、どちらが幸せだろうか。言い換えれば、人生単位のタイム・パフォーマンスは、どちらが上だろうか。

最近Tiktokが流行っているけれど、まあそうなんだよね・・・。

ここで、映画を見る人生のほうが幸せだ、というつもりはない。どちらを好むかは価値観による。だからこれは、あくまで私個人の意見なのだが、私は目の前の快楽を貪って生きているだけでは辿り着けない場所があると思う。すなわち、一度我慢してしゃがまないと手に入れられないものが、世の中にはたくさんあると考えている。むしろ、本当に大切なものほどたゆまぬ努力を続けなければ手に入れられない、という方が世の中の実情を正しく表しているだろう。

“目の前の快楽”を追求するだけでは、引いた目でみると結局大切なものは得られない、というそれ。

短期的な最適行動によって、長期的な最適行動を探る機会を失ってしまうのである。

向かう方向としても、短期的な報酬ばかりを追い求めてしまうけれど、
長期的な報酬を求めると自分で向かいたい方向に行ける、という感じかな。

対する答えの半分はエゴである。書きたいから。小説が好きだから。小説からしか得られない感動があると知っているから。小説が軽視される時代に我慢ならないから。小説から生まれる感動を、今を生きる人に伝えたいから。

そうなんだよね、結局本や映画でしか得られない愉しみみたいなものがあるから時間をかけてみるというか。別にTiktokがダメというわけでなく。

そして、いつか誰かが私の作品を読んで、同じように感じてくれたのなら、それだけで私のやったことには価値があると思えるだろう。

文章の締め方もかっこええやん!笑

没入する体験、というのはやっぱり時間をかけないと得られないし、

映画も読書も、ランニングもブラジリアン柔術も、
早送りじゃ得られない体験ばかりなので、じっくりやりたいことをやっていこうかなと。

今日はそんな感じで。
かわなみ

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