「肉体言語で考えよ」安宅和人×糸井重里の対談について

ほぼ日のインタビュー

ほぼ日手帳の糸井重里さんと安宅和人さんの対談が印象に残ったので軽く紹介しようかなと。
安宅和人さんは『イシューからはじめよ』の本で有名なあの人。

対談集はこちらより:

糸井
自分の取り組んでいることについては、
みんな知りすぎているから悩みが大きく見えますよね。
でも、みんなが集まってしゃべるときには、
ちょっとでも前に進むように
共有財産を持ちたいって思うんですよ。
じつは、若い人の方がその感覚が
まだないんじゃないかなって思ったんです。

 

糸井
吉本隆明さんが晩年に
詩について語った文章があるんですが、
「表現から表現をする時代になっている」って。

安宅
ああ、なるほど。体験から表現を生み出すではなく。

 

和田誠展@京都駅に行ってきた感想

 

糸井
ぼくはいま、地方に興味を持っていて、
都市と地方を行ったり来たりできる
時代なんだってことを、なんだか忘れている気がするんですよ。

 

糸井
だから、肉体ができた歴史っていうのが
密空間になったからといって
肉体を急激に変化させるわけにはいかないんです。

糸井
そう、陥っている。
っていう風に考えてみると、
密空間で稼ぐ方法があったり、
自分の時間に自由が作れることを前提にするならば、
時間の流動を作ればいいんですよね。
それは養老孟司先生のおっしゃっていた
参勤交代に近くなるんですよね。
つまり、都市と地方とに
ふたつの住処を作るといいということです。

 

 

安宅
確かにそうですねえ。
ぼくが若いときに読んだ本で、
開高健さんのことばが印象的だったんです。
「頭だけで生きようとするから、
凝視の地獄から避けられない」って。
とにかく手と足を使えということなんですよね。
江藤淳さんかどなたかの本に、
「博打でもいいから手を使え」と孔子が言っていた
という一連のくだりがあったんです。

ほぼ日っぽいインタビュー、なかなか良かったので、
興味のある方はぜひとも。

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