日本人の味なニッポン戦後史のコラムが興味深い

日本人の味の文化史

最近読んで面白いな、と思った味覚に関するエッセイ『日本人の味なニッポン戦後史』。
澁川祐子さんによるサイゾーの連載を軽く紹介します。

コラムはこちらより読めます。

→『日本人の味なニッポン戦後史

 

ということで引用を含めざっくりと。

だしへの苦手意識、あるいは面倒臭さが、和食を作るハードルになっているのではないか。ずっとそう感じていたところに数年前、90代になるレジェンドな料理研究家から聞き捨てならぬことを耳にした。その方は「今の人は、だしといえばかつお節と昆布ってすぐ思うでしょ。でも昔はそんなことなかったのよ」と言って、煮干しを薦めてきたのだ。「だし=昆布とかつお節の合わせだし」は伝統かと思いきや、逆に年配のプロからの否定である。ならば、いつからこの図式は定着したのだろうか。

伝承料理研究家の奥村彪生は、だしについて「昆布も鰹節も、これほど使われるようになったのは、流通が発達したからです。ただし、昆布は圧倒的に京阪中心で、全国的に使われるようになったのは戦後になってからです」と述べている

そこから「だしの素」のヒット、そこからの反動についても書かれていてかなり興味深かった。

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「和食」という雑な概念の設定が生んだほころびみたいなものについても言及。

「和食」という大きな枠を設定し、何もかも取り込もうとしてわかりにくくなった背景には、じつは登録までの紆余曲折が大きな影を落としていた。

見せたい姿に都合よく「伝統」という言葉をかぶせているようにしか受け取れないのだ。
しかし、一面を切り取った「伝統」はあらゆる場面を通じて伝達、強化されていく。

 

日本の“塩事情”についてのエッセイもなかなかよかった。

思えば、我が家の台所にはお土産でもらったもの、旅先で買ったものなど常時2~3種類の塩のストックがあるが、それらの商品名は必ずといっていいほど、土地の名を冠している。ひと味違う塩であることを伝えたいとき、地名は手っ取り早い差別化のための記号なのだ。

塩の種類が飽和状態になると、今度は塩と別の素材との組み合わせが、食のトレンドをにぎわすようになる。

そこから塩スイーツのブームが起こる背景に繋げていくのも見事。

 

スイーツとジェンダーを絡めたエッセイも。

そういえばここ最近、コンビニで「男性向け」を謳うスイーツを見かけない。声高にアピールせずともよくなり、「男は辛党、女は甘党」はもはや思い込みに過ぎず、実態は性差で説明できなくなってきている。社会が変われば、味覚が変わる。甘味もジェンダーフリーの時代がやってきたのだ。

 

食文化は僕らの生活に密接に結びついているので、
こういうのを追うだけでも沼にハマりそうですよね。

今日はそんな感じで。
かわなみ

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