「人間の無能こそが人類最後の防壁かも」三体の作者が語るAI論

劉慈欣の人工知能論

中国SFといえばこの人を避けては語れないほど有名な劉慈欣。
あの『三体』の作者が最新のインタビュー記事でAIについて語っていたのが興味深かった。

 

 

さらに、人々が特に関心を寄せている「AIは人類に取って代わるのかどうか」について、劉氏は「AIが暴力によって人類を物理的に滅ぼす可能性は大きくないが、AIのイテレーションによって危険な分野が出現する可能性が大きい。

 

しかし、人間の計算能力には限界があるため、AIの計算能力が一定のレベルに達すると、人間の計算能力ではAIのイテレーションを支えることはできなくなるだろう。ある意味では、人間が無能であることが、逆に人類にとっての最後の防壁かもしれない」と述べました。

三体Ⅱ』もそうだったように、ちゃんと理論を組む科学者よりも、
よくわからない考えをしている一般人の方が宇宙人に対抗するのに役立った、ということも
これに近いのかも。

無能や怠け者なりの理論を外れた動き、案外そういうものも馬鹿にできないぞ、という話。

 

劉氏はまた、「AIの進化に伴って、われわれは人類史上前例のない巨大なわなに陥る可能性がある。つまり、科学技術が提供してくれる快適な環境下で、どうしたら人類文明の活力や向上心を保てるのかということだ。もし、その覚悟がなければ、人類はAIによって絶滅させられる恐れがある。しかも、この絶滅プロセスはまったく人間の意志の範囲内であり、AIには最初から最後まで悪意はなく、人間の指示どおりに行動しているだけだ。だから、これは人間にとって、早急に警戒しなければならない課題だ」と強調しました。

 

つまり、科学技術が提供してくれる快適な環境下で、どうしたら人類文明の活力や向上心を保てるのかということだ」の部分はほんとうにそうで、
「全部AIに任せちゃえばいいのに」と思う人は増えたと思う。

例えば言語を例にあげると、
英語はともかく「第二言語はもうAIに任せよう」と思う人はかなり増えたんじゃないかなと。

「なぜわざわざ手間をかけて勉強しなくてはいけないのか?」という質問に答えるのは
AIが進化するのに比例して難しくなってきているように思える。

勉強でも趣味でも向上心を維持し続けるには、
人として自分なりのやりがい、みたいなものを見つけて積み上げていくしかないんだろうなと。

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
と夏目漱石『こころ』の先生も言っていたけれど
この言葉をきっかけにKも死んでしまったりしたし、
人間らしく無理ない範囲でやっていかないと元の子もなくて。

 

こういう人工知能とその脅威に関するエッセイを読むたび、
AIのしもべにならないよう人との共感性や感情みたいなものを大切にしていきたいと強く思う。

今日はそんな感じで。
かわなみ

今日の良かったこと:
二ヶ月振りぐらいに大阪でフットサル。
下手くそなりに今回もけっこー楽しめた。

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